楽都郡山を考える会

理事 春山 秀城

郡山市民による音楽の歴史とコンサートホールについて考えてみたい。

昭和26年に郡山音楽協会が設立、その活動の中で、合唱や器楽の分野で、学校音楽が先生方の指導により、安積女子高校を始め、金透小器楽部や郡山二中オーケストラ等のコンクールでの活躍を背景に、やがて一般市民による合唱団、吹奏楽団や、オーケストラへと発展してきた。

そして特筆すべきは、勤労者音楽協会(労音)(昭和34年結成)の存在で、昭和35年には、当時の建設費5000万円、東北一といわれた設備の郡山市民会館の落成で、演奏家を招いて聴く市民のための労音は、当時人口10万人の郡山市で6000人の会員がいた。この成功の背景には、地元の演奏者のみならず一般視聴者の音楽への意欲に加え、郡山市民会館の存在が大きかったと考えるべきであろう。

1980年頃から、全国的に多目的ホールより建設費の安い専用ホールが建設されるようになり、音楽、演劇、能楽専用のホールが全国各地で誕生する。

新潟市民芸術文化会館(りゅ一とぴあ)はコンサートホールに加え演劇ホール、能楽堂、石川県立音楽堂は邦楽ホール、熊本県立劇場は演劇ホールが併設されている。

音楽の専用ホールであるコンサートホールは、ステージと客席がワンボックス構造のため、残響2秒台が実現可能で、音響、視覚的にも良く、建設費が安い上に、破損しやすい舞台吊物がないので地震に強いという特徴がある。

ちなみに多目的の郡山市民文化センターの建設費が70億に対し、専用ホールのサントリーホールは60億である。

全国の多目的を含めたホールの総席数は、都市平均で人口10万人あたり1637席なので、30万都市の郡山の場合は、4911席あれば全国的に平均ということになるが、郡山市民文化センター2810席、がくと館380席と、合計3190席で、全国平均を下回る。

これまでの経緯を考えると、音楽都市を標榜する郡山市はもちろん、人口30万人以上の都市は、市民文化のためにそれぞれのジャンルに特化した専用ホールを持つべきではないかと考える。