これからの「楽都郡山」への展望

織田 陵平

 私は、生まれも育ちも郡山で、高校から吹奏楽部でトランペットを学び、その後音楽大学に進みプロとしての活動を始めました。卒業後は、東邦音楽大学実技演奏研究員を務め、オーケストラや吹奏楽、金管アンサンブルなどでの演奏やレコーディングなどの活動を行うほか、指揮の勉強も始め、各地の学校の楽団や一般楽団の指揮・指導・トレーナーの活動を行ってきました。2018 年に家業の承継のために郡山に戻り、2024 年現在は、(株)アドバーンス企画 代表取締役、(公社)郡山青年会議所 第 64 代理事長、楽都郡山を考える会 会員、郡山文化協会 会員、郡山キャナル国際音楽祭実行委員会 企画委員、アマデウス室内管弦楽団 副代表を務め、楽都郡山のさらなる発展のために活動しています。
 郡山は音楽が盛んなまちということは知っていましたが、地元に戻った当時はなぜ音楽が盛んなのか、どのような歴史的背景があるのか、また「音楽都市宣言」を行ったことなども分かりませんでした。しかし、様々な交流や経験を通した学びの機会のなかで、音楽が郡山のまちづくりにとって重要な役割を果たしていることを知り、音楽に携わる身としても、楽都郡山を今以上に発信していかなければならないとの使命感が芽生えました。
 2024 年、(公社)郡山青年会議所の理事長を拝命し、楽都郡山のさらなる発展に向けて運動をスタートいたしました。楽都郡山への展望に関しては、(公社)郡山青年会議所の 2024 年度 理事長所信にて私自身の考えを表明させていただきました。

【(公社)郡山青年会議所 2024 年度 理事長所信より引用】
 郡山市は 2008 年に「音楽都市宣言」を行い、今日まで音楽と言う地域の宝を磨き上げてきました。郡山市が音楽都市宣言を行った背景には、様々な困難を市民が音楽の力を借り乗り越えてきた歴史があります。ここ数年は新型コロナウイルス感染症の影響や度重なる地震による施設の損壊により、市民が音楽を身近に感じる機会が減少しました。しかしながら、新型コロナウイルス感染症も「5 類感染症」に分類され、次第に音楽の灯が復活しています。
 「音楽都市郡山」は現在「楽都郡山」となり、2008 年に制定された「郡山市音楽都市宣言」から 15 年以上が経過しました。音楽は郡山市が全面に打ち出しているブランドとなりますが、音楽がまちにあふれ、人の輪が広がり心をつなぐ「楽都郡山」は浸透しているのか、今一度考える時期を迎えているのではないでしょうか。様々な文化は都市生活の水を示す指標でもあり、その中でも音楽をブランドにしている郡山市においては、都市における音楽の役割を全体的に探究していくことが包括的な利益をもたらし、市民が誇りを持てる文化的な都市形成へつながると考えます。郡山市の特色ある文化に根差した魅力を発信し、市民が積極的に郡山市のブランドやイメージを対外に広めていくことで、人々の交流を促進し人と人が織りなすハーモニーを奏でる魅力ある「楽都郡山」の創出へとつながります。

 以上の考えのもと、同じ志をもつ仲間とともに運動を進めてまいりました。運動を進めるなかで感じたことは、民間の音楽団体と行政が一体となれるような連携が取れる場が少ないことです。楽都郡山がさらに浸透し、郡山はもとより全国的に「郡山は音楽都市だよね」と認識されるような真の楽都を目指すのであれば、行政を巻き込み、予算やプロモーションの方法などを官民一体となり議論し、未来へとつなげていくような取り組みが一層必要になるのではないでしょうか。そのためには、音楽団体においても理念やビジョンをもち、どのような目的やゴールを見据えて活動を行っているのかハッキリと示すことが必要なのではないかと思います。
 一部の限られた「楽都郡山」ではなく、真の意味での「楽都郡山」を官民一体となり目指し実現する夢を持ち、今後も活動に邁進していきたいと思います。